2020年8月19日水曜日

稽古について

 前回の更新から、またずいぶんと間があきましたが、特に罪悪感などはありません。そういうわけでこのような更新頻度になるわけです。

 その間にも、色々とありました。直毘会の稽古も一応は再開しました。今のところはひとりでの稽古が主になりますが、なんにしても集中して自分の体と向き合う時間は、とても楽しい。新たな発見も多くあり、実りある稽古を重ねております。こうした積み重ねの末がどこに行き着くかは、よくわかりませんが、自分の感覚的には良い方へと向かっていると思える。それなりの期間を稽古してきて思いますが、それ以外に指標となるものはなさそうです。

 新陰流をこれまで続けてきて、自慢できることがあるとすれば、稽古を重ねるたびに上手になった実感があるという点でしょうか。もちろんこれは誰と比べてどうという話ではありません。僕自身が稽古の度に、更新されたと感じるかどうかの話です。お陰様で伸び悩むことも絶望することもなく、順調に道を歩むことができています。傍から見てその姿がどのように映っているかはわかりませんし、それがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。多分、誰にもわからないと思う。誰がどの瞬間に、どう変わるのかなんて、本当にわかる人間はいません。僕はそう思っています。だから会員のみなさんが、どう上達していくのかもまったくわかっていない。

 わかっていることはひとつです。僕が他人を上達させることはできない。これだけは事実として受け止め、常の指導を行っています。

 上達をするのは、あくまで稽古を重ねる個人です。道をひとり歩く、その人です。残念ながらこの稽古者の世界にはタクシーも乗り合いバスもないようです。地下鉄も通ってないし軽々と空を行く飛行機もあるようには思えません。練習時間が多ければそれだけ上手にはなりますが、費やした時間と上達との間に確かな比例関係があるわけでもなさそうです。つまり結構わからないことが多い。

 僕はこれらをとても面白いと感じます。英語をそのまま翻訳したような文章になりましたが、本当にそう思って稽古しています。

 誰が、いつ、どこで、どう上達するのか。まったくわからない。それがたまらなく面白く、その変化をいつも楽しんで稽古しています。なかなか共感は得られませんが。

 まあそれはともかく、新たな稽古の方法も色々と見つけることができましたので、会員の皆様と共有できる日を楽しみにしております。

 今回はいつにもましてとりとめのない文章になりました。

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