2020年7月17日金曜日

少しだけ道について


 前回更新してから二週間以上の間があきました。不定期とはいえあまり間をあけるのもどうかと思い、なにか書こうと思います。
 都内の感染者数が過去最大の290人以上とニュースが報じていました。増えたなあというのが単純な感想です。他人事のように語っていますが、今のところは感染していないと思われるので実際に他人事です。うがい、手洗いなどの個人でできる対策は行っていますし、不要不急の外出を控えるというのも行っています。だからといって感染しないというわけではありません。感染したからといって重症化するともかぎらない。そんな程度の通り一遍の知識は持っているが、だからといってその情報で自らの不安を増大させても仕方がない。そんなところでしょうか。
 生きている以上は命を落とすという可能性は常にあります。可能性をゼロにするには生きるのをやめるしかない。どのような生活スタイルであっても、ある程度のリスクは背負わなければならない。安全を求めるのはもちろん大事です。誰だって自分の意図しない理由で意味もなく命を落としたくはない。多分。だから健康診断にもかかるし、防犯対策も講じる。しかし完全な安全はない。
 そういった、ないものを求めるあまり心身に過度な負担を強いるのは、なかなかに辛い生き方だろうと思います。勝手に同情するなと言われそうですが。
 ここまで新陰流に関することが書けていません。なにかしら関係のあることを書かなくてはと現在、心身に過度な負担を強いています。

 今まで新陰流を稽古してきた中で、色んな方と出会いました。ほとんどの方がとても真面目で、とても真摯な姿勢で稽古に臨んでいらっしゃいました。中にはあまりにも真面目すぎて辛そうに見える方もいました。
 求めるものが大きすぎるのか、それとも、目標に対する自分の矮小さが気になるのか、とにかく稽古をすればするほど新陰流への意欲を減退させているような方がいました。そうして最終的に、自分のような人間がやっていても仕方ないと早々に諦めてしまった。
 僕のような楽天的な人間は、なにもそこまで思い詰めなくてもと思いますが、当人にしてみればそれだけの重大事だったのでしょうし、僕の意見などなんの役にも立たない。残念ですが、仕方ありません。本人の意志を曲げてまで継続を強いることはできません。
 ところで僕の好きな諺に『すべての道はローマに通ず』というのがあります。大変有名な諺ですので意味についての説明は省きます。けして書くのが面倒だから端折っているわけではありません。
 でまあ、なにが好きかというと、とにかく安心感があります。
 人それぞれ歩みは異なるものですよね。それでも、みんながローマにたどり着ける。道中まわりの景色を楽しみながらゆっくり歩こうが、脇目も振らず一心不乱に駆けていこうが、それは個人の自由です。なんなら道を間違えたって構わないのです。だってその道すらローマに通じている。わざわざ逆走したって無駄な抵抗です。どうしたってたどり着いてしまうのです。
 すごいですねローマ。そんじょそこらのケチくさい連中とは格が違います。ローマの前には正しい道も間違った道もないのです。とにかく前に進んでりゃいつかは着いてしまう。ちょっと乱暴な書き方をしてしまいましたが、要するに、どの道を選ぶかは問題ではなく、前に進み続けることが大事だというようなことが言いたかった。多分。
 ちなみにですが、そのローマとやらに僕はまだ行ったことがありません。このご時世ですので、しばらくは無理でしょう。
 しかしまあ、そのうち行けると思いますよ。
 歩みを止めさえしなければ、いつかは。

0 件のコメント:

コメントを投稿